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見 所 | 概要・説明 | 関連ホームページの有無 |
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写 真
(写真にマウスを当てると写真の説明が出ます) |
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平和島競艇場 |
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「TOKYO BAY BOAT」の名の通り、東京湾岸 |
にある競艇場で、平成6年から平成8年まで3年連 |
続で総理大臣杯も開催された人気の有る競艇場で |
す。 |
また、毎年秋には『大田区フェスタ』が開催されま |
す。ご近所の方は一度遊びに行ってみるのもいいか |
もしれませんね。 |
京浜急行大森海岸駅,平和島駅から徒歩でも行け |
る距離ですが、開催日にはIR大森駅および京浜急 |
行平和島駅より無料送迎バスが運行されます。 |
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龍子記念館 |
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龍子記念館は、昭和38年(1963年)に川端龍子 |
画伯の喜寿の記念に、画伯自身の発意と設計によっ |
て設立されました。 |
画伯の没後は社団法人青龍社によって運営され |
てきましたが、平成2年12月、青龍社の解散に伴っ |
て、記念館と所蔵作品等が大田区に寄贈されること |
になりました。 |
大田区では、文化勲章受章者として数々の名作を |
残した巨匠の代表作を保存し、広く区民に公開する |
とともに、芸術文化の普及と振興をはかるために 大 |
田区立龍子記念館として、その事業を引き継ぐこと |
になりまた。 |
(以上、龍子記念館発行のしおり”大田区立龍子記 |
念館”より抜粋) |
記念館のすぐ近くには龍子の旧宅が残っていて、 |
記念館に申し込めば見学することができます。入館 |
料は 200円かかりますが、絵画や川端龍子に興味 |
のある方にはお奨めです。 |
JR京浜東北線大森駅山王口から東急バス「荏原町 |
行」”臼田坂下”で下車徒歩2分程度。 |
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洗 足 池 |
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広さが30万平方メートル余りの湧水池で、流れ込 |
む川はない。昔から風光明媚な池として知られ、江 |
戸の頃には安藤広重の絵になって、江戸近郊の名 |
勝として有名でありました。また、病気治療のため身 |
延山を下りた日蓮が、池上宗仲の屋敷に向かう途中 |
でこの池に立ち寄り、足を洗ったという伝説があり、そ |
の時に袈裟をかけたと言われる”袈裟掛けの松” (た |
だし3代目)も残っています。 |
かつては”千束の大池”と呼ばれていたらしいのです |
が、日蓮にまつわる伝説により、いつの間にか”洗足 |
池(せんぞくいけ)” と呼ばれるようになったということ |
です。 |
万延元年(1860年)に咸臨丸で渡米、その後江戸 |
幕府の軍艦奉行と陸軍総裁を兼任し、西郷隆盛との |
話し合いで江戸城の無血開城を果たしたことなどで |
知られる勝海舟(夫妻)の墓所が洗足池東岸にあり、 |
大田区の文化財となっています。また、勝海舟の墓 |
所に隣接して、西郷隆盛留魂碑があります。現在は |
大田区立の公園(洗足池公園)となっていてます。 |
東急池上線洗足池駅下車徒歩5分で着くことができ |
ます。 |
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鈴が森刑場跡 |
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慶安4年(1651年)に江戸幕府によって開設され |
たもので、広さは間口40間(72メートル)、奥行9間 |
(16.2メートル)、東海道に面して横に長くのびた形 |
をしていたらしいです。 |
現在は旧東海道を拡幅した第一京浜国道(国道15 |
号)沿いに一部分が残るだけとなっていますが、石製 |
の火炙台(ひあぶりだい)や 磔台(はりつけだい)、 |
受刑者の首を洗ったという首洗いの井戸、処刑者の |
供養のために元禄6年(1693年)に建てられた供養 |
塔などを見ることができます。 |
昭和29年(1954年)に東京都の旧跡に指定され |
ました。刑場跡と言え旧跡には違いなく、わざわざ足 |
を運んできたと思われる人をよく見かける事ができま |
すが、写真撮影などが禁止されております。 |
京浜急行大森海岸駅より徒歩でご拝見してください。 |
近くには、平和島競艇場, お七地蔵,磐井神社など |
があります。 |
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お七地蔵 |
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今からおよそ300年ほど前に、恋しい人に会いた |
いばっかりに放火をして、火あぶりの刑で鈴が森の露 |
と消えた”八百屋お七”の話しはあまりにも有名です |
が、そのお七の霊を慰めるためにお七の三回忌に小 |
石川の念仏講中が建てたのが、 ”お七地蔵”の通称 |
で知られる地蔵菩薩立像で、像高161センチ、蓮座 |
33センチ、台石23.5センチもある大きなものです。 |
鈴が森の近くの密厳院 という寺の境内にあります。 |
またこの地蔵は、もともと鈴が森に安置されたものが、 |
一夜にしてここに飛んできたという『一夜地蔵』の伝 |
説もあります。 |
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密 厳 院 |
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旧本山を川崎大師とし、寺号を祈念時,山号を八 |
幡山とする古刹であります。江戸時代には郷社磐井 |
神社をはじめとし、附近一帯の十四社の別当を兼ね |
ていたお寺でもあります。今は、『新四国多摩川八十 |
八箇所 札所第76番』になっています。 |
『新編武蔵風土記稿』によると、当院は山城国醍醐 |
三宝院の末寺で、開山は運誉、開創の年代不明と |
なっています。また、往昔は現在の鷲神社のところに |
大門があり、その裏手の水田の中に祈念塚と呼ばれ |
る古塚があり、そこも境域であったから、相当広大な |
境内を有していたのであろうと記されています。しか |
し寺伝では、開創は文安5年(1448年)、開山は乗 |
海法印とされているので、『新編武蔵風土記稿』とは |
相違をしているが、磐井神社との関係や、当院歴世 |
の世代が75代に及んでいることからかなりの古刹で |
あることは間違いなさそうです。 |
JR京浜東北線大森駅下車徒歩15分および、京浜 |
急行線大森海岸駅下車徒歩5分で参拝できます。 |
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